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Thursday, September 30, 2021

思い出と沈黙の場所 シベリウスの終のすみかアイノラ - 朝日新聞デジタル

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作曲家ジャン・シベリウスが人生の後半を過ごした家「アイノラ」。そこは家族や友人との美しい思い出だけでなく、「沈黙」を見守った場所でもありました。

四季の美しい自然、アートやデザインを楽しむ暮らし。ライターの内山さつきさんが、フィンランドで日々を豊かにするヒントを見つけ、“幸せ”を感じたスポットや人々の営みを紹介します。

妻の名を冠したあたたかな家

ジャン・シベリウスの音楽は、クラシック音楽が生活の中にあった家に育った私にとっては、フィンランドにひかれる前から身近なものだった。

まだ「シベリウス」「フィンランド」という言葉が何なのかも知らない幼いときから、この音楽には、森の木のざわめきや風の音がする、と思っていた。春を告げる鳥の歌や土の匂い、湖面に漂う霧のようなものが音の中に感じられてならなかった。

ジャン・シベリウスという名前に触れ、彼の作品を好んで聴くようになったのはもっと後のことで、シベリウスの終(つい)のすみかがヘルシンキ郊外にあり、今はミュージアムとなっていて訪ねることができると知ったときは、なんだか夢のようだった。

シベリウスが1957年に91歳の生涯を閉じるまで暮らした「アイノラ」は、ヘルシンキから北へ40キロほどのヤルヴェンパーにある。トゥースラ湖のほとりに位置するアイノラには、冬の終わりの3月と夏の終わりの9月の2度訪れた。

思い出と沈黙の場所 シベリウスの終のすみかアイノラ
アイノラまではヘルシンキ駅から電車で30分ほど。アイノラ駅から、アイノラへ続く道の周りには田園風景が広がっている

「アイノラ」とは、シベリウスの妻アイノの名前から取られたもので、フィンランド語で「アイノのいる場所」という意味がある。シベリウスとアイノは、1904年にここに建てた住まいに移り住み、以降半世紀以上をこのアイノラで過ごした。

思い出と沈黙の場所 シベリウスの終のすみかアイノラ
アイノラは建築家ラルス・ソンクによる設計。リビングルームにはシベリウスが50歳のときに友人たちから贈られたグランドピアノが置かれている
思い出と沈黙の場所 シベリウスの終のすみかアイノラ
ダイニングルームの暖炉の深い緑は、シベリウス自身の希望によるもの。緑はシベリウスの好きな色で、共感覚を持っていた彼によると「ヘ長調」の響きがあったそうだ

当時、トゥースラ湖のそばには、アイノの兄である画家のエーロ・ヤルネフェルトや、同じく画家のペッカ・ハロネン、作家のユハニ・アホらが住んでいて、アーティストたちは互いに親しく交流していた。この地域はアーティストコロニーとして、芸術的な雰囲気にあふれていたようだ。

書斎には友人の画家アクセリ・ガレン=カレラの作品が飾られている。額の中には若き日のシベリウスの肖像画と風景画が。これに加えてガレン=カレラはシベリウスの楽曲「エン・サガ」の主題をここに入れるよう頼んだのだが、シベリウスは相互の作品には通じるものがないとして拒否したため、空いたままになっている。

思い出と沈黙の場所 シベリウスの終のすみかアイノラ
書斎に飾られた、画家アクセリ・ガレン=カレラの作品

大作曲家の終の住まいにしては素朴で、あたたかみのあるたたずまいをしているアイノラ。シベリウスとアイノの間には、幼くして亡くなった三女を含め6人の娘がいたが、作曲の仕事の妨げにならないように、子どもたちはシベリウスが在宅しているときには、できるだけ静かにするように思いやっていたという。

『AINOLA The Home of Jean and Aino Sibelius』(SKS出版)には、時には来訪者の前で、チョウに扮装した娘たちが、シベリウスの奏でるピアノに合わせて、即興でダンスを披露することもあり、シベリウスがピアノを弾くのをやめると、娘たちは、「もう一回」と演奏をせがんだという愛らしいエピソードも記されている。

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