
<第119回>普通にあることが実は恵まれているという現実。それを糧に純烈は何があっても前進を続ける
新型コロナウイルスの影響により、世の中のさまざまなものが変わってしまい、それまでの方法論が通用しなくなった。あらゆるエンターテインメントにおいて、昭和の時代から受け継がれてきた形態に“巡業”がある。 芸能も大相撲もプロ野球も、日本全国津々浦々までいって地元の人々にライブで見てもらうことにより大衆文化として根づいた。中でもプロレスは年間十数本のシリーズを組んで1ヵ月前後地方を回り、最終戦で首都圏のビッグマッチを開催し終えるというフォーマットを確立。 主要都市だけでなく小さな町と村まで力道山やジャイアント馬場、アントニオ猪木といったスタープレイヤーがやってくる。東京や大阪では見慣れた技であっても、そこに住む人たちにとっては年に一度の祭りごとだ。 だから空手チョップや十六文キック、卍固めという代名詞的な技が繰り出されるのを心待ちとしている。大都市と地方とでは、プロレスの役割が少しばかり違う。 それまで歩けなかったお年寄りが、場外乱闘でいかつい外国人プロレスラーが客席になだれ込んでくるや恐怖のあまり我を忘れて逃げ出し「婆ちゃんが立った!」と家族が驚いた――そんなおとぎ話を聞いたのも、一度や二度ではない(じっさいにそうしたシーンを目撃したこともある)。純烈が地方のスーパー銭湯を訪れた時にも、同じような元気と力を与えていたのだろう。 1993年、東京を拠点としない日本初の地方発信団体として岩手県盛岡市で旗揚げされた「みちのくプロレス」は、東北六県を巡業。画期的だったのは、客席にイスを並べずブルーシートを敷いて地べた座りにしたことだった。 その様子は、素朴な東北の風景と絶妙なまでにマッチしていた。週末になると東京の熱心なファンが新幹線や車で観戦にやってくる。そこにはプロレスを見るだけでなく、旅の楽しみというオプションがあった。 地元のおいしいものを食べたり、温浴施設や観光名所に立ち寄ったり。試合会場で知り合った友人と会えるのも喜びとなった。それらのすべてが遠征の醍醐味だったのだが、時代の流れとともに巡業形態がなくなり、今ではそうした楽しみ方も難しくなった。
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