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Tuesday, June 16, 2020

戦後75年 刻む(1)沖縄戦の慰霊の場所は(RBC琉球放送) - Yahoo!ニュース

戦後75年をみつめる新シリーズ企画「刻む」。 1回目は慰霊の日を前に浮上した追悼式典の開催場所をめぐる問題について考えます。国立墓苑と平和の礎。いずれも沖縄戦の最後の激戦地、糸満市摩文仁にある施設ですが、歴史的背景をたどるとそこに込められた意味や遺族が抱く感情が異なることがみえてきます。

新型コロナの規模縮小をきっかけに…

戦後75年を迎えた沖縄。 毎年、4月から6月にかけては各地で慰霊祭が開催されますが、今年は新型コロナウイルスの影響で、その多くが規模縮小や中止を余儀なくされています。 その沖縄で最大の慰霊祭ともいえるのが、沖縄戦で組織的戦闘が終結した日とされる6月23日に開催される「沖縄全戦没者追悼式」です。 しかし、この追悼式も今年は規模が縮小されることになりました。 これに伴い沖縄県は開催場所を変更し、今年は沖縄戦の戦没者の名前を刻んだ「平和の礎」近くの広場ではなく、丘の上にある国立戦没者墓苑で開催すると発表しました。しかし――。 「私たちは戦没者の鎮魂と平和の発信を半世紀以上積み重ねてきた歴史的な場所である平和の礎そばで行うよう要請します」(沖縄全戦没者追悼式のあり方を考える県民の会 知念ウシさん) 国立墓苑での開催に沖縄戦の研究者らから疑問の声が上がったのです。 問題視されたのは、墓苑のホームページに記された「国難に殉じた戦没者の遺骨をまつる」という表記でした。 「国が起こした戦争によってたくさんの人が巻き込まれて、摩文仁の一帯に追い詰められてバタバタと死んでいく。結局、そういう人たちに『殉国』という言葉が使えるのかと」(琉球大の比屋根照夫名誉教授) 墓苑のホームページを管理する県平和祈念財団は6月11日、「誤解を招きかねない」として記述を削除しましたが、この問題は、慰霊の場所とそこに込められた意味について改めて問い直すきっかけとなりました。

問われる「国立」の意味

県民の慰霊の場所としてはふさわしくないと指摘された、国立戦没者墓苑。そもそもどのような経緯でつくられたのでしょうか。 多くの県民を巻き込み、軍民あわせて20万人あまりの命が失われた沖縄戦。 野ざらしとなった遺骨の多くは戦後、住民らによって拾われて各地の慰霊の塔に集められたあと、那覇市識名にあった戦没者中央納骨所へと納められました。 そして1979年、国はこれらの遺骨を糸満市摩文仁にある国立沖縄戦没者墓苑へと移しました。 県民を含む多くの遺骨が眠る墓苑ですが、沖縄戦の研究者らが疑問を感じたのはその場所に込められた意味でした。 「建ち並ぶ慰霊碑をみてもわかるように、摩文仁の丘は(当初は)殉国美談の意味合いが強かった。英霊、国に殉じたということを示す碑が並んでいる。そこに墓苑があるわけだから、そこには沖縄の遺族の思いというものがやっぱり届かない」(比屋根名誉教授) 「国立」という言葉が持つ意味を改めて問い直すべきだという比屋根名誉教授。 さらに、沖縄戦の遺族が思いを寄せる対象はすでに、1995年に建立された戦没者の名前を刻む「平和の礎」に移っていると指摘します。 「平和の礎というのはいわば墓碑。遺族は身近な存在として、そこに行くことで自分の亡くなった息子や娘、父や母を感じている。礎には戦争で犠牲になった人たちの魂がある。年に一度、6月23日に礎に帰ってくるという思いが遺族にはあるのではないか」(比屋根名誉教授) 研究者らの指摘を受けて、沖縄県は式典の開催場所を再度変更し、今年も例年通り、平和の礎近くの広場で開催するとしています。 国立墓苑と平和の礎。いずれも摩文仁に建つ沖縄戦の施設ですが、その歴史的背景は異なります。 戦後75年を迎えた沖縄。思わぬところで浮上した式典の開催場所をめぐる問題ですが、今年は平和を誓う場所それぞれに込められた意味や思いを考える慰霊の日となりそうです。

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June 16, 2020 at 03:28PM
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